桜が満開だ。
今年は例年より開花が早いらしい。
あの寒かった冬の朝を
もう忘れかけている。
笑
喉元過ぎればなんとやら、
人の感覚は
いい加減なものである。
(それが恩寵だったりもするわけだが。)
この季節になると
口を突いて
出てくる詩がある。
願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ
西行
この和歌である。
西行が
死についての願望をうたったものである。
西行の思い
花に対する憧れ
そして
強い意思が伝わる。
好きな詩の一つである。
この花は勿論
桜のことだ。
桜?
如月?
2月?
おや、
季節が違うのではないか。
桜はまだ咲いてない。
どういうことだろうか。
始めてこの詩を知ったときは,
首をかしげたものだ。
ところが、
西行の時代は旧暦である。
旧暦の如月とは今でいう3月にあたる。
そして望月とは満月のことで
陰暦2月15日の頃の季節だ。
これは現在の暦で3月下旬
ちょうど今時分の時節である。
なんと
桜が満開のこの季節のことであったのだ。
これを知ったとき、
心の中で
膝を打った。
詩の季節はぴったり
桜の季節を読み上げていたのだ。
そして、
実際、
西行は陰暦2月16日に
他界している。
この事実を知ったとき
今度はちょっと
ぎょっとした。
そしてこの事が
この詩に深みを与えている。
念ずれば花開く。
西行の願いが実現したのだ。
西行はあの世への道すがら、
きっと空から
咲き誇る桜を愛でたことだろう。
そして
やはり桜は美しいと
涙したのではなかろうか。
西行さん、
願いが叶って良かったですね。
むせるような
満開の桜の花々を見ていると、
西行さんの気持ちが
よくわかる。
可憐に咲き誇る
桜の木の下で
息を引き取ることができれば、
それは本当に
安らかで
眠るごとしであろうと想像する。
私もどうせ死ぬなら、
桜を見ながら、
そして風に吹かれて
鳥の声を聞きながら
逝きたいなと
思った。
私のちょっとした
願望である。
珠