今年の桜は、
気温が急激に上昇したため、
散り時が早かった。
散りゆく桜を眺めるのが好きだ。
風が吹くたびに、
舞い散っていく花びらを、
見上げるのが好きだ。
桜が散るときは、
春風がふいていることが多い。
春風と桜、
それはとても素敵な組み合わせだ。
この季節になると、
思い出す詩がある。
散る桜、残る桜も 散る桜
良寛
この詩である。
岡山県玉島に縁のある、
良寛さんの辞世の句である。
桜は咲くと必ず散る運命である。
あの桜もこの桜も
どれも見事だ。
それでも、
あの桜もこの桜も
1枚の花びら残さず
散っていく。
それは生けとし生けるものすべてに当てはまることだ。
もっと言えば、
物質すべてにいえることかもしれない。
存在するものは
すべて滅していく。
満開時、咲き誇る桜は
言葉がでない美しさだ。
しかし、
散りゆく桜には
涙がでるほど
心が揺れる。
桜の散りゆく様に、
儚さを感じるからかも知れない。
咲いて満開なのは一時、
瞬く間に散っていく。
これは人間の一生にも
いえることだ。
特に晩年になって、
人生を振り返ると、
おそらくどの人も
「人生はあっという間。
早かったなぁ」
と感じるだろう。
良寛の残したこの詩には、
死に逝く者が、
残る者に残した、
諦めの気持ちがあるように思う。
「遅かれ早かれ、
おまえたちもみんな
死んでいくのだ。
先に逝くのが私であるだけで、
みな一緒なのさ。」
自らの死を、
目前に見たからこその、
気づきであったのかもしれない。
永遠のものなど
存在しない。
ずっと生きる存在なんて、
ありはしないのである。
私たちは、
すべてが移りゆく世界で、
散りゆく桜のような儚さで、
瞬く星の一瞬を生きている。
そんな存在なのかもしれない。
それはどの瞬間も、
貴重で、
狂おしいほど愛おしいものであるはずだ。
私はその貴重な時間を
しっかり抱きしめていることが
できているだろうか?
私はこのかけがえなのない自分を
しっかり輝かせることが
できているだろうか?
桜吹雪の中で、
私は、
良寛の詩とともに
そんなことを考えるのである。