言葉は力だと思う。
私の好きな言葉
「ゲシュタルトの祈り」
「私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に沿うためにこの世に生きているわけではない。
そして、あなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけではない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」
(原文)
I do my thing, and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by the chance we find each other,
it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
日本人は他人に合わせてしまう傾向が高い。
私自身もそうだ。
特に社労士として開業してからは
自信がないものだから
卑屈なくらい
人に合わせている自分を感じる。
自分を貶めて
稼げるわけでもないのに。
稼いでいる労務士に
ゴマをすったり。
相手を必要以上に
持ち上げたり。
意味がない。
そんな薄っぺらな関係
相手も見透かしているだろう。
そんな意味ないことより
自分を高めることに
力を使うべきだ。
そんな私が
勇気をもらえる詩だ。
そう、
私は他人のために生きているわけではない。
自分ではどうしようもない
他人の物差しに
合わせて生きる。
そんなの、
実態のない嘘に合わせて
生きるに等しい。
私が感じている世界
この世界が
現実だ。
私は私
あなたはあなた。
それらは繋がっていると同時に
全く
別世界なのだ。
大きな宇宙の目、
鳥の目で見る場合は
繋がっていて、
日々の日常では
それぞれの役割をそれぞれがこなしている
全く
別の存在。
この両方の視点が必要だ。
感じ方、
考え方の軸足を
自分にもってくること。
自分始点で
感じること
考えること。
同じ考えるでも
自分視点で考えるのか
他人視点で考えるのか
どこに立って考えるのか
それで結果が
決定的に違ってくる。
自分を大事にして良いのだ。
いや、自分こそ大事にするべきなのだ。
他人と自分
バランスが大事だ。
そして
合わなければ離れていく
それだけだ。
それは悪いことでも
悲しいことでも
どうということもない、
そういうことだと思う。
それでいいのだと
この詩を読むと
静かに思う。
珠