初めてきいたVoicy
初めてVoicyを聴いた。
そしていろいろな人が
種々のことを
発信しているんだなと
とても感心した。
そして
ちょっと驚いた。
まさに個の時代到来だ。
これはマスコミ不要だね。
テレビの放映内容の
質の悪さが
こういった発信を聴くと
際立つ。
それはさておき、
エッジの効いた何かを
持っている人は楽しい。
本人が一番楽しいだろうな。
自分の声を
情報を
赤の他人様が時間を割いて
聴いてくれる。
これって奇跡だ。
素敵だ。
「kenji Radio」を聴いて考えたこと
私の興味は
「潜在意識」「無意識」が中心の今、
聴く内容もその関連になる。
で、聴いたチャンネルは
”kenji Radio”
”潜在意識や引き寄せを散々学んだが、
まったくうまくいかなかったので、
心地良くし始めたら
約1年で人生180度変わりました。”
という
見出しが付いていた。
おっと、
これって私と同じ状態じゃない?!
飛びついたわけですよ。
何本か聴いてみた。
これがどうして、
淡々と語っている中で、
ホッホォ・・・
と顎をなぞりたくなる
箇所があった。
彼自身、
自分がやって
うまくいったことを
発信しているらしい。
だから、
本人とって
語っている内容は
事実だ。
人間の基礎部分が同じと
考えるなら
再現性はある、
ということになる。
「信じていることが実現する」
といわれる。
そしてこれは事実だ。
ポイントなのは
あなたが
ほんとうに
真実、
信じていることが
実現するというところだ。
あなたが、
今、
感じていること、
その気分が
実現するというところだ。
「変わりたい」から
日々、
アファメーションを頑張ったり。
しますよね。(してない人もいるでしょう 笑)
「変わりたい」
「変わりたい」
でも、変わらない。
なぜだろう。
「変わりたい」
これって
変われないってことを
受け入れて
認めてますよね?!
ってことだ。
だから、
「変わらない」が
実現している。
そして
「変わらなくっちゃ」と焦る。
焦りの
奥底では
不安が渦巻いている。
結局その不安が実現して
続いていく。
「”焦り”は”信じていない”というだ。」
信じてないから
焦る。
だって、
成功するって完璧にわかっていたら
誰だって焦ったりしないでしょ?!
ってこと。
なんとかしなきゃ、
なんとかしなきゃ。
それが害だということだ。
現在は過去だといわれる。
今起こっていることは、
過去の思考、
過去信じていたことによって
実現しているといえる。
だから、
その過去の思考よって生まれた
現在の出来事で
あたふたしても
仕方ないってことだ。
しばらくすると
別のあたふたしたことが現れる。
そのときの焦り、不安が
形になって現れる。
それだけのこと。
ほんじゃぁ、どうすりゃいいのよ?!!
ほんと聞きたくなりますよね。
心地よさがすべての鍵だった!
どうやら、
そんな状況でも
「心地よさ」を求めることが
肝心らしい。
「心地よさ」を
意識して求めても
これまた
心地悪さが実現してしまう
恐れがある。
心地よさを求めると
同時に
今
心地悪さを感じてるってことが
浮き彫りに
されるから。
「心地よくしなくっちゃ、
心地よくしなくっちゃ。」
これが
焦燥感、
不安の元に
なってしまう。
難しい。
私が思うに、
もっと
単純に
純粋に
楽しさに
フォーカスしたらいいのかなと。
「単純に」ですよ、
ほんとに。
「あれができたら
楽しいだろうな」
わくわく
「こういうふうになったら
嬉しいだろうな」
だよねぇ・・・
「檜の香りする
緑に囲まれた家に
住んだら
どうかな」
檜の香り、
良い香りだよねぇ。
きっとうれしいぞ
「ここがこうなれば
毎日がこうなるぞ」
それって、良くない?!
こんなかんじでしょうか。
「足るを知る」光に目を向けろ
kenji氏が話していたのは
「現在の状況にどれくらい感謝できるか?」
ということだ。
今日仕事があること
ご飯が食べることができること
友達に会えること
パソコンが使えること
これらにどれだけ喜べるか、
このあたりが心地よさのヒントとなりそうだ。
足るを知る、
この考え方に
似たかんじか?
変わらなくていい。
そのままでいい。
今あるもの、
今ある環境、
今の状態の自分、
そのままで
うん、気持ちいい
と心から思えるようにこと。
反対に
変わってもいいのだ。
こう変わったら、楽しそうとか
こう変わったら、うれしいとか
そういう変化へわくわくの
思いであれば良い。
これって心地いいことだから。
変わろうが
変わるまいが
どっちでも
OKってことだ。
いつも心地良いこと
楽しいこと
それに感情をのせていく。
それは
本心からの楽しさ
心地よさ
気持ちよさであること。
絶対条件だ。
こんな簡単なことで良いの?
そんなわがままを
自分に許して良いの?
ほんとに?
いつも
気分最高で
良いのか?
「時間を有意義に使わなければならない」
「無駄があってはならない」
「頑張って結果を出したい、
出さなくては意味がない」
そういう人間だった。
私はそれをかれこれ50年やってるベテランだ。
そうしてないと
自分が停止しているようで、
向上してないようで
存在価値がないようで
落ち着かない。
愛犬と一緒に戯れる時間、
愛猫にすりすりする時間、
朝のすがすがしい空気の中で
庭の緑をぼーっと眺める時間、
どれも最高に心地良い。
大好きなアニメを見る時間、
漫画を何巻もまとめ読みする時間、
何時間も爆睡する昼寝時間、
どれも長時間かかるが
とても楽しい。
でもこれらって
向上してないのでは?
時間の浪費なのでは?
そして
自責の念がむくむくと
頭をもたげる。
だよね,時間の浪費しちゃったよ。
そんなことを50年してきたベテランは
ふと思い出した。
心地よい、
気持ちいい、
うれしい、
わくわくする、
この感覚ってっずーっと昔は
いつも感じていた気がする。
あの子供の頃の毎日。
あの頃の感覚を思い出した。
あの、なんの考えもなく
ただ、
楽しかった、
ただ、
嬉しかった、
あの、無自覚の感覚に戻ればいいのではないか?
あの頃は
どうしてあんなに
わくわくしていたのか。
どうしてあんなに
楽しかったのか。
なにもなくても
楽しかったのた。
そこに在るだけで
もう、
最高なのだ。
あれは、
なんだったんだろう。
多分、自我と自意識が関係してる。
これらが社会生活のなかで生き残るために発達したことの弊害。
自我がない、あの感覚を思い出す、
感じる時間を、
多くしていったらいいのではないか?
ここからは
ベテラン選手の挑戦だ。
考えなく、
心地よさで満たしていくと、
何かをしたい、
そのように
心から思えることが
現れる予感がある。
心地よさから
やりたいと思ったことは、
義務感なく
焦燥感なく
子供が遊びに夢中になるように、
できるのではないか。
そんな
予感がある。
そんな
懐かしい感覚が
ある。