みけまねブログ
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岡田林太郎さんからのメッセージ

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一人書店 営業方針

まだ病気になっていない元気なときの岡田さん。
一人書店を頑張る氣満々のとき。
私が深く頷いた箇所を紹介する。

まだそれほどの歳ではないはずだけれど、とはいえもう若いともいえないかもしれない40歳になって、日々生きていくうえでのささやかな営業方針をふたつ。

1.自分を<おっさん扱い>しない。
 自己規定は伝播する。「もうおっさんなんだからさ~~」などと年齢をエクスキューズにしはじめたときから、自他ともに認めるおっさんになる。
 他人からそう思われるのはしかたないが、自分にそれを許した時から、ヒトは無反省で甘えた悪しき<おっさん>と化す。
 歳月はいずれ我々全てを飲み込んでいく。いずれ年齢を認めざるをえないときがくるだろう。
 でも、そこはもうしばらくの間。ちょっ抗っていこう。

2. とりあえず面白そうなことには首をつっこんでみる。
 自己規制は何も生まない。
もちろん、自分が持っている時間とコストと能力の範囲内で判断する。
でも、そういった諸条件が許すなら、そりあえず新しいこと・面白そうなことには目と耳を向けてみることにする。
 請われれば一差し舞える人になれ。
 たぶんそのほうが、明日が楽しい。(今ごとになってそんなことに気づいた)。

 自分で事業を始めたら、悩むところが営業。
苦手な私はすぐ小さくまとまろうとする。
コンフォートゾーンから抜け出せず留まろうとする。
だからこの営業方針には深く同意する。
特に、2. 。
「自己規制は何も生まない。」名言ですよ。岡田さん。

私は自分を<おばさん>扱いはしない。
そういう意識もあまりない。
若い人ばっかりの中に一人50代だと、ちょっと笑いをとる意味で
「一人平均年齢上げててごめんね」くらいは言うかも。
年齢を意識して、それを言い訳にしてたら私に良いことはなにもない。
それは、日常でよく感じる。

仕事の進め方 

一人書店だから一人だ。
全部一人。

私も個人事務所なので基本一人だ。
全部一人。
だから仕事に取りかかれず、後伸ばしにしていくことも自由。
そして後で後悔するものの、また先延ばししてしまう。
嘆かわしい。
そんな私に送る岡田さんの文。

 いい機会なので、朝から晩まで部屋にこもって、懸案だった時間のかかる仕事を一気に片付けました。

 かつて先輩が言っていましたが、「やれば、終わる」。
 やらないと絶対に終わらないけど、どんな面倒くさい仕事でも、やればいつか必ず終わります。
 集中して、鑿で掘り出すように、少しずつ進めていくしかないですね。
 いつか仏の像が顔を覗かせます。

やれやれ、
終わった終わった。

 一仕事終えたので、すごく肌理の細かいポテサラを作る。仕上げにワサビと醤油を少々加えて、居酒屋のメニュー風に。

「岡田さんは部屋にこもって黙々と自分だけの作業を進めるのも好きだった」らしい。
そんな彼でさえ、「やれば、終わる」というフレーズを思うことがあった。

そう、やれば終わるんですよ。ほんとに。
やれば。ね。

岡田さんの好きな言葉

岡田さんは出版社だ。
言葉を扱い、言葉を世界に発信していく仕事だ。
だから、言葉に対する感度が高い。
その岡田さんの好きな言葉が、
ダイヤモンドの輝きを放つのは当たり前かなと思う。

以下は岡田さんのお気に入りの文章たち。
文章の好みが私と似ている岡田さん。
光栄です。

 「藤田省三は、本来的には、自分を震撼する物事に対して自らを開いておくこと。物事によって揺り動かされることを歓迎するような態度こそが重要であり、物あるいは事態に対してのこの開放的態度をこそ自由な経験の基本条件としていた。」

・・・

 喜びや共感は言うまでもなく、辛いことやしんどいことや悲しいことまで含めて、自分の心の震えを見詰めること。
 いつか自分はこれを乗り越えるだろうという最終的な楽観だけは手放さないで、心の失調や低迷を否定しないこと。

 今野先生はこの原稿では保苅実にも言及されるのですが、数年前にある人に教わって以来、僕のマントラになっている一節があります。

 <自由で危険な広がりのなかで、一心不乱に遊び抜く術を、僕は学び知りたいと思っている>

保苅のことばも、藤田省三の思想と響き合うものがあるよう気がします。

最近、引き寄せの法則の影響かもしれないけど、
悲しいこと、辛いことを見て見ぬふりすることが良いことのような風潮がある。

全部大事な私の感情である。
だから受け止める。
決して飲み込まれるのではなく、受け止める。
そして受け入れる。
その重要さを指摘してる。

保苅のことばは魅力的。
「一心不乱に遊ぶ抜く術」
これを私も会得したい。
私にとっての一心不乱。
私にとっての遊ぶ術。
こればっかりは自分で探して回るしか手段がない。

そしてさらに、「夜と霧」からフランクルの言葉が続く。

「人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。」

過酷な状況で生き延びたフランクル。
彼の言葉は重い。
大学時代に読んだことがある「夜と霧」
読み直してみたい。

大学生に送る言葉

2021年7月、岡田さんは大学生に向かって話をしている。
非常勤講師を引き受けた最後の授業での場面である。

先に紹介した部分に通じることを岡田さんは彼らに自分ことばで伝えている。
「案の定、フリースタイルで喋ったから、うまく伝えられなかったのだけど。」というが、
なんのなんの、上手いものだ。

おそらく、あらゆる感情を十全に感じることが、生きているということです。
これから世界は変わるし、今からでもまったく遅くはない。

楽しい、嬉しいばかりで人生が進むわけではない。
ときに、悲しみや苦しみや悩みや怒りがやってきます。
それを十全に感じまくることが、多分生きているということです。

・・・・

大人になるとね、たんにハッピーそうな人とか、たんに楽しそうな人を羨むことはなくなるんだ。
 それよりも、ちゃんと笑って、でも強く怒って、きちんと喜んで、でもしっかり悲しむことができる人に敬意を抱くようになるもんです。
 願わくば、喜びも怒りも、楽しみも苦しみも、あらゆる感情を十全に感じられますよう。
 素敵な大人とは、きっとそういう人のことです。

 

 心がこもってて、いい話だなと感じる。
この自身の話したことに対して、2年後に振り返る。

 病気になってから、苦しみや痛みを意識することが増えた。それを感じることも生きていることの一部なら、避けることはできないのだろう。もちろん苦痛を軽減するために様々な手を尽くす。薬を飲み、点滴を打つ。
 それでも、避けがたい苦痛というものはある。生きるということはこの苦痛も込みのことなのだと、今更ながら自分に言い聞かせる。それは軽く小さくすることはできても決して消すことはできない。
 そしてこれから先、少しずつ少しずつ重く大きくなっていく。そのことを生きていることのうちに含めてかんがえないといけない。

自分との対話。

すべてを十全に感じることが生きるということであれば、
病気もその中に含まれるということを納得しようとしている。

なんと理性的な人だと思う。

岡田林太郎さん ありがとう。

最近、Youtubuで話している岡田さんの動画を見た。

文章の印象より、
知的、理性的、正確、妥協無し
なんといったらいいか
硬い感じがした。

発病後の撮影だからかな。

「愛」という言葉を使わない林太郎さん。
この言葉は気恥ずかしいのかもしれない。
そんな岡田さんが残した最期の言葉。
それは奥様へ向けての言葉だった。

ねぇ、裕子さん、僕なしの残りの人生を、あなたはどんなふうに過ごすのでしょう。
どうか良い人生を歩んでください。できれば僕も一緒に歩いていきたかった。
でもそれは叶いそうにありません。
だからせめてことばだけでも残しておくね。
愛してるよ、裕子さん。

じーーんときました。
ありがとう。
岡田林太郎さん。

貴方のことばは私に届きました。
きっと、多くの人に気づきと勇気を与えることでしょう。