「勉強ってつらいものだ」
「学校って楽しくないものだ」・・・子供たちは実際学校に入ってこれらを実感することになる。
「楽しくない」を極度に恐れる精神がある。孤独の場合と同じだ。孤独に悩むのと同様に、多くの子供が登校拒否に追い込まれるだろう。
・・・
なぜ綺麗な言葉を使ってごまかそうとするのだろうか。大人は少し考えなおしたほうがいい。もう少し素直になってもらいたい、と僕は思う。
そう、なんでもキラキラ見せる。
見せたがる。
楽しくないと価値がない。美しくないと価値がない。
そう錯覚させられたとしても、
責められない・・・
大人はもっと発信することに責任を持つべきである。
ブランコをこごう。
ブランコを漕いているようなもので、前に出たとき楽しく、後ろはさみしいという「揺動」である。ここで重要なことは、楽しさだけを大きくすることはできない、という点だ。それが波形の基本である。ただ、人間は、自分の心の状態を主観的にしか捉えられないので、ブランコの中心がどこにあるのか見誤って、自分は寂しい思いばかりしている、と勘違いすることがある。本当は同じように両方へ揺れているのに、そんなふうに感じてしまうわけだ。僕が観察する限りでは、寂しさを怖れて、孤独にならないように無理ににぎやかさばかりを求めている人は、ブランコを漕がないで、前に行こう前に行こうと藻掻いている状態だ。こういう人のブランコは、ほぼ停まっているといってよい。だから大きな寂しさはないかもしれないけど、思い描いたような楽しさはいつまでも届かないだろう。
寂しい、孤独だ。
それはブランコが揺れているだけのことだ。
寂しい?
大いに結構。
創造を生み出すのも、やはり孤独なのである。そういう面では孤独は生産的だといえる。
芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をぜひおすすめしたい。絵を見る、詩を読むそういった受け身の行為ではあまり効果がない。それではますます孤独感を強める危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を費やせば、気持ちの一部は必ず昇華かされる。もし、そういった才能を少しでも持っているなら、なんでも良いから試してみることをおすすめする。絵でも詩でも音楽でも演劇でもどんなものでもよい。アートであればその機能があるはずである。
ここには、大いに納得である。
人間の本能は創造することだ。
だから何かを創り出すことで、
喜びを感じるものだと私は思う。
中でもアート、
芸術は感情を昇華してくれる力が強いのだと
この本で気づかされた。
確かに料理を作ったり
お菓子を焼いたり
それも一つの創作だ。
喜びは感じるのだ。
それが芸術になると喜びとともに
癒しが発生する。
苦しい、悲しい、憎いなど・・・
そんな思いを昇華していく力。
それが芸術。
孤独を受け入れたい人は、自分の好きなようにすればいい。他人に迷惑をかけないこと、もしすでに家族があるなら、できるだけ家族の理解を得ることくらいしか、貴方を拘束するものはない、と考えていい。親類縁者がどう思うかとか、生まれ育った村のみんなが気にいなるとか、余計なことは考えないこと。それはたぶん、あなたの思い込みでしかない。自分で自分を縛っていることにまず気づくべきだろう。
同時に、自由になるのは何故なのか、自分は自由になって何がしたいのか、をもっと考えてほしい。というよりも、それがさきになければ自由になれない。自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、自分の夢を実現することだからだ。もし、そういった目標がしっかり決まっていれば、あとは何の問題もない。たとえ、自由のために絆を切って、その結果、孤独になったとしても、それは必ず「楽しい孤独」「素敵な孤独」になるはずである。
著者は、自分ひとりになって、孤独とじっくり向き合い、自分が何者か考えることを勧めている。
自分がやりたいことをやれ。
そもそも自分のやりたいことを考える、
自分と向き合う、
自分と対話する、
これらは一人、孤独でなければ
できないことだ。
自分としっかり対話して
やりたいことを
形にしていく、
その過程で、
「孤独」が
なによりも美味になるのだろう。
他人に何かを求めても
解決にはならない。
参考になることはあっても
答はない。
最後に、孤独死について書かれいてる部分を引用しよう。
独居老人などが人知れず亡くなっていることを、「孤独死」と言ったるするが、これもやはり、家族愛や友情を宣伝するマスコミの命名であって、何が孤独なのか全く理解できない。
孤独は死とは無関係である。その亡くなった人は、死ぬ間際まで自分の好きなことをしていたのかもしれない。それを、「孤独だったのね」と勝手に決めつけるのは、余計なお世話というものだ。・・・・・
孤独死というのは、誰もがいつかは迎えるシーンだ。それを怖れる理由など全くない。結婚した人は、しばらくは近くに伴侶がいるかもしれないが、いずれは片方だけになる。あるいは、生きていても意識がない、認知が出来ない、といったことにもなる。心配しても、しなくても、みんな最後は孤独になれるのだ。
かくいう私も、独身なので
先は「孤独死」か?!って
ちょっと暗く思っていた。
著者が言う毒された考えを持っていたのだ。
たった一人で死んでいく、
これはみんな同じ。
それに孤独であることが
寂しいとか
可哀そうとか
それを思うのは赤の他人であって
その当の本人
その者の思考が反映されているにすぎない。
人間が一人で他界し
死後、
遺体が発見されたとしても
その人が寂しかったのかどうかは
わからない。
他人が思うだろうことなんかに
縛られることは
馬鹿らしい。
今、はやりの「絆」。
絆というのは、
家畜が逃げないように脚を縛っておく縄のことらしい。
絆って結構、きついと思う。
明らかに自由の反対にある言葉だ。
家族や友人、それらに感謝することはもちろん必要だ。
だが生きる目的は、
自分の自由のため、それであるべきだと著者はいう。
私を含めて、
現代人は柵に縛られすぎているようだ。
もっと自由に
もっと楽しく、
孤独の世界を開拓していきたいと思う1冊だった。
孤独は人間には必要だ。
孤独であれ。
大きく頷く私だった。
珠