みけまねブログ
50代独身実家暮らし女性 生き方ヒント
読んだ本 PR

【アンチ整理術 森 博嗣】 大事なことは方法ではない。どこに向かって行きたいかだ。

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

この本の後半は、著者と編集者とのQ&A方式だ。
以下何点か気になった部分を書き留めた。

Q 必要なものを見極め、身につける方法には、どんなものがありますか?
A やはり、方法に拘りますよね。方法ではない、といことがまず第1だと思いますよ。方法なんて、そのうちできてくるものです。とにかく結果をだす。必死になって前進します。すると振り返ったときに道ができている。それが「方法」というもんです。方法というのは、同じことをもう一度するときには役に立ちますが、最初にするときには、方法はありません。
 

その後で、通常の仕事は成功者という前例があるだろうから、それを参考にすることも効果がある。成功者とは敵も味方も両方観察することが大事とか。

Q AIにこれから仕事奪われますか?
A そんな未来ではないと思います。
  人間の本質がこれから問題になると思います。人間にしかできないことは何か、あるいはその個人にしかできない仕事は何か、ということです。それを持っている人は、安心して生きていけることでしょう。みんなと同じことしかできない人は、すべてAIにとってかわられるはずです。

この著者はとにかく、考えることをとても大事にしている。
考える仕事。
考えること。
それもぼっとしてではなく、本質を考えること。
考えることが苦手な人は、どうしたらうまくいくかという方法論に思いが行くらしい。
そうではなくて、何が問題なのか、何をしたいのか、その1つ1つをこれ以上考えられないくらい考えぬく。考えると滅入るなら、滅入ればいい。それでも考える。もしこれ以上どうしても考えららえないとなったら、何か行動してみる。そうすると視点が変わるかもしれない。

そういうことのようだ。

ものを整理するとかではなく、結局は自分の生き方を整理することのほうがずっと大事なのではなかろうか。生き方は何も死に際でなくて、若い時からでも良いから、整理・整頓をし、綺麗にしておくと、とても生きやすくなるだろう。
 人生の整理・整頓ができている人に共通するのは、自己評価が絶対的である点だ。自分の人生の計画も、またその評価も、すべて自分ひとりで行っている。誰かのためにしている行為を伴った場合でも、あくまでも自分で結果の評価をしている。
 頼まれたわけでもない、褒められたわけでもない、自分がやりたいからやっている。この自発性というか、自己完結的な部分が、人間としてとても魅力的に見える理由だが、これは僕だけの錯覚だろうか。

この自己完結できる人。
私の理想の一つだ。
私は他者の目を意識しすぎる。もっと自己に没入したい。
それには、理解されなくてよい、自分だけが理解していれば良い、その割り切りが必要だ。

人は確かに一人では生きられない。社会の一員として生きている。

だが、基本的に、自分は一人だ。
一人で生まれ、一人で死んでいく。
人生は、一度きりであり、その人生を自分で評価することが前提である。
他者の評価を得ることは、ちょっと微笑ましい、という程度のオプションだ。少し照れるくらいのこと、だと思う。
なぜかというと、自分の行為を一番よくみているのは自分だからである。最初からすべて見ていた。ずっと細かいことまで経緯を知っている。自分は、自分のわきにいつもついている神様みたいな存在である。どんなに親密な理解者でも、すべてを知っているわけではない。自分の気持ちまでは、誰にもわからない。
 行いの結果だけを評価され、褒められたとしても、本当はこうなんだという部分が必ず残るだろう。他者に褒められるより、自分に褒められたほうがどれだけ嬉しいか。最も的確な評価をしてくれるのは、いつも自分だから、なにごとも自分のために行う、というのが正しいと僕は考えている。

「自分は、自分のわきにいる神様みたいな存在だ」このフレーズは私によく届くフレーズである。
この自分という気高い存在。
これに恥じない自分になりたい。

言葉で説明しても全部は伝わらない。わかってもらえることなどほんの少しだ。大部分は誤解されると考えてよいだろう。基本的には、自分は自分。誰にわかってもらえなくても、自分はわかっている。自分が知っている自分が、一番本物だし、その評価を自分ですれば、それで良い。
 これがつまり気持ちの整理・整頓というものだろう。
自分を見つめなおすこと。
人の目を気にしないことに限りなく近い、ともいえる。

そして著者は、自分の身体すら環境と言い切っている。
家族、友人、家、物、車、草、花、空、海、地球、宇宙、
全部環境だ。

この環境をいかに自分仕様に整えていくか・・・
それが楽しい作業だという。

私はこれまで、自分の環境をそんな風に考えたことがなかった。
自分の好みに整理整頓していいなんて。

日々の生活だけで終わってた。
私の人生って何?

人は、生きていくというだけで、他者とも場所とも物体とも関りを持つ。これをひとまとめに「環境」と呼ぶことにしよう。
 この環境はある意味で自分と一体化している。自分には内と外があるが、内とは、主に自分の頭の中だ。環境は自分の外側に存在する。
 自分自身とともに、この「環境」を整理・整頓していくことは、生きる上で非常に重要な作業といえる。その場合、大事なことは、自分の力でかえられるのはどこまでか、という見極めだろう。
 家族やパートナーや子供であっても、他者であるから、自分の環境として考える必要がある。自分の思い通りになると思ったら大間違いである。とにかく、人間が一番コントロールが難しい。

(略)

場所や物体は何とでもなる。場所が気に入らなければ、自分が移動すればよい。
物体も、自分の所有物なら、なんとでもなる。

さて、自分の自由にできるものがだいたいわかったら、どんな方法で環境を変えていくのかを考える。
 誰かと約束したとか、契約したとかいうたぐいのものではない。自分で決めた自分の予定であるから、適宜変更すればよい。ときには妥協も必要だと思う。
 自分がその目的を実現する本人なのだから、自分の能力に合わせ、無理のない計画を立てることが大前提である。自分を買いかぶっていたら、下方修正する。自分を見損なっていたら、上方修正する。そうこうするうちに、自分というものがわかってくるだろう。

そして、最も重要なことは、この自分環境整備プロセスがおもしろいこと。楽しくて一人笑ってしまうくりらいだろう。生きていくことの楽しさとは、こういうものだと理解できるはずである。

なにか目の前のものを買わされて、それを消費することが人生の楽しみだと思い込んではいないだろうか?

誰か他者に自分の時間の大半を捧げて、それが自分の人生なのだ、と諦めていないだろうか?

人間は、本当に自由なのだ。
疑っている人は、一度試してみると良い。

明日、自分の好きなところへでかけて、好きなものを食べてみると良い。
それを誰かに逐一報告したりしない。
誰にも自慢したりしない。
ただ、自分でにっこりすれば、それで良い。
自由にできることが、どれくらい価値があることか、少しわかるだろう。
その1日の自由を毎日重ねるだけで、とんでもなく大きな自由と楽しさが、あなた自身のために実現するはずである。

最後はまるで詩のように終わった本だった。
ひそやかだが確かにある私だけの楽しみ。

自分だけの楽しみを大事にしろ。
自分との時間を慈しめ。
誰かに話す必要はない。
自分と自分の関わりを深める時間。
それを実現していけ。
著者からのメッセージだ。

自分だけの自由を自分だけで味わう自由。
それはとても極上の時間だろう。

私も私の好きなように自由を楽しみたいと思った次第である。