「アラヤ識」という言葉を久しぶりに聞いた。
大学在学中に私はこの
「アラヤ識」という言葉に出会った。
確か現代国語表現とかいう
一般教養の授業だった。
国文学科の教授が
綺麗な文字で
縦書きで「アラヤ識」と
黒板に書いていた。
「アラヤ識」の説明を終えて
「あなたたちは
接する言葉に気をつけなければならない。
何故ならそれらは
すべてアラヤ識に記憶されていくから」
「それらの言葉は
ずっとあなたの中に残る。
死ぬまで残る。
これはとても恐ろしいことですよ。」
と言っていた。
国文の先生らしく、
黒髪を額の中央で分けたボブスタイルで
色白で
目が細く
能面のような顔立ちの人だった。
声は高くよく通っていた。
懐かしい。
「アラヤ識」かぁ。
何故か記憶に残っているんだよなぁ。
国文の先生はたしか、
「言語アラヤ識」って言っていた気がする。
そしてあのときから
数十年後の今、
私はまた「アラヤ識」という言葉に出会ったのである。
それがこの「得をする人」という無能唱元さんの書いた本の中である。
「アラヤ識」とは
今でいう「潜在意識」と
とてもよく似ている。
「アラヤ識」に刻印されたことが
未来において
形をなして現実になる。
どうやったら「アラヤ識」に
刻印できるのか。
このアラヤ識というものをコンピュータのように考えるとわかりやすいかもしれません。
今、人間が何かを考える、そして、考えたものが全部アラヤ識にインプットされるんじゃない。ここがだいじなところですよ。アラヤに入るには前提条件がいるんです。感情を伴わなきゃ駄目なんです。考えたころ、つまり思考というものに感情というものが加わって熱をもつと「念」というものになるんです。
思ったことが「念」になると、それはアラヤ識のプログラムに入るのです。それで記録されることになる。このようにアラヤ識というコンピュータにインプットされたものを、仏教用語では「異熟」といっています。・・・すべての「異熟」がドロドロとした液体になって、我々の深層意識の奥底にあるアラヤというコンピュータの充満しているわけです。
「○○したい」とこう思って燃えたら、その念はぽんとこの異熟の中に入るのですね。その入ったものが、将来の結果を起こすところの原因体なんです。「因」です。「因」がアラヤに入って、熟長広大する期間がある。そしてその熟成が全部終ると、ポンと外に出てきて、その実を結ぶんです。だから結果という。「結果」というのは、「原因」があって、この「因」と「果」を結んで「因果」といいます。
さて、この「因」がアラヤに入ったとき、将来の結果を生ずるための「縁」が生じたというんです。因の縁が生じ起きたということで「因縁生起」という。そして、この「縁」と「起きる」という字で「縁起」といったんです。すなわち、仏教は、縁起論なんです。
ただ思うだけでは刻印されない。
感情という熱が思いに加わると、
アラヤにインプットされる。
アラヤに刻印して、
願望を達成させるには、
日常の感情をつねにプラスにしておくことだという。
無能さんはそれをピンクと表現した。
「無能先生、私は先生のいわれるとおりに一生懸命ビジョンを思い浮かべて、3年やっているけれど、ちっとも叶ってこない。どうしてくれますか」なんていう人がいる。
「どうしたらいいんでしょうか」に対して私は「それはね、私のところに、そういう文句を言ってくるのを辞めれば良くなるよ」と言ったんです。これは冗談みたいだけど、本当のことなんです。
人にクレームをつけるなんて、そういう心がけでは、頭に思っていることと、感ずることは、プラスとマイナスの相殺作用になってしまう。
このことを私は繰り返し言っています。日常の感情のあり方が大事なんだと。いま仮に、プラスの色をピンクとする。マイナスの色をグレーとする。グレーのものがどんどんアラヤにたまっていくと、そこはどっぷりグレーになってしまう。そこへピンクの願いが飛び込んできても熟長広大しないんです。
ピンクはグレーに打ち消されて、純粋なピンクはアラヤに入っていかない。だから皆さんの願いはそこで終わり。因縁は起きない。
多くの人はそこに気づいていないのです。
感情の赴くままに「ああ嫌だ」「駄目だ」「腹が立つ」・・・・こんなふうに感情をコントロールしないでいると、因果は同類に従う。その人の人生は危ない。しかも皆さん、人間は、とかく自分の感情をグレーにすることを好む性格がある。ほっておくと、自然にグレーになっちゃうものです。で、アラヤの中はすっかりグレー。ところが願いはピンクですから、そこに入ってきても、すぐそのピンクはグレーに打ち消されてしまいます。
無能さんの表現がわかりやすい。
そうか・・・
無能さんに対して、文句を言うこともマイナスなんだ。
こういうことで日常でよくあることだと思う。
他人に対して、
事実としてこうしてくれたら良かったのに・・・
と言うこと、ある気がする。
マイナスは駄目と知っている私でも
やっているかもしれない。
私の認識はまだ甘い。
日常の感情をピンクとグレーで表現するあたり、
感性の素晴らしさを感じた。
私の日常は
ピンク一色にしていたい。
濃いピンク、
薄いピンク、
ベビーピンク、
どれも素敵だ。
あなたの心の色は
今
何色ですか?
私の心の色は
今
何色ですか?
深呼吸して
感じてみよう。